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九成宮醴泉銘

2010年7月4日 日曜日

Suzuri 陶硯
Creative Commons License photo credit: Yuya Tamai

本屋で、最新号のPenのが書道を特集していたので思わず買ってしまった。いつか書いたように、私は中学の時に書道部で、高校の芸術の授業も書道を選択していた。だけど、消去法的に選んだだけだったので、当時は上達しようという気持ちがたいしてなかった。そのせいで、いまも下手で、あの時間はいまとなっては何の達成感もない記憶にしかなっていない。そうはいってもやはり、美しい文字を書きたいと急に強く感じるもので、本屋でそんな本を見つけては手にとってしまうなんてこともある。

写真はというと、しばらく前に陶芸教室でつくった陶硯である。文房四宝のなかでだれでも簡単に作れるのは硯だろう。余っていた上信楽の土に黄瀬戸をいい加減に掛けてけただけのものだけどたぶん硯として十分に使えるとおもう。まだ使っていないのでまっしろなのだけど、ところで陸の部分というのは釉薬をかけるものなのだろうか。水滴がなぜかセットになっている織部の硯の写真を見ると釉薬がかかっているようなかかっていないような。墨をするにはザラザラしていないといけないような気もするし、筆が痛まない程度にツルツルでないといけないような気もするし。

せっかくだから使わなきゃと思ったので物置や押入れを探した。けっこう色々出てくるものだ。モノを捨てられない性格なので、古いものでも記憶に残っているものはたいてい家のどこかに残っている。何年も使われていないカチンコチンの筆が数本と、貰いものの墨が1本、そして練習用の半紙が二束も出てきた。そしてこの自作の黄瀬戸陶硯で御宝が四種そろった。見るからに習字教室時代のものと思われるラインの入ったフエルトの下敷きも見つかったし、意外になんとかなるものだ。手本もどこかにあったはずと本棚を探して見つけたのが、欧陽詢の九成宮醴泉銘だ。これはまた懐かしい物が出てきたものだ。

小学校や中学校の国語の時間にはいつも漢字テストがあった。マンガのタイトルみたいだけど、「トメ、ハネ」は大事だと習っていて、間違えるとバッテンがつけられた。それなのに、こういう書道のお手本をみると、滅茶苦茶なのだ。トメがハネになっていたり、ハネがトメになっていたり。妙に変だなあと思うと、一画抜けていたりというのもよくあった。変だぞ変だぞと、そんな事ばかり考えながら書いていた。さっきpenの書道特集を読んで、「なーんだ、好き勝手に書けばいいんじゃないか」と勇気が出てきたのだ。高島屋の魯山人展を見てからも書道をもう一度やってみたいなと思っていたところなのでいい機会かもしれない。

更に色々さがしまわったら書道の授業でつくった篆刻の作品まで出てきた。「2年1組玉井裕也」というシールが貼られたままだ。penの特集にあった王羲之の「奉橘帖」にしても蘇軾の「黄州寒食詩巻」にしてもハンコがベタベタ押してある。1月3日ぐらいに届く年賀状のようだ。決まりなんてないんだろう。芋判みたいなのもそこら中に押してあるので、こちらも実は好き勝手やればいいのだと感じた。ちょっとまえに買った唐詩の本から好きなのを選んで芋判を押せば完成だろう。陶印を作るというのもよさそうだ。

そういえば、あのころ、行書も何か書いていた。書家の名前は全然わからないけれど、本を読むと聞いたことのある名前がときどき出てくる。もしかしたら王羲之の蘭亭序だったかもしれないなあ。蘭亭序という名前は聞いた記憶がある。(苗字が一文字の中国人の名前はみんな書家に見えるし、詩人に見える。羨ましい。)楷書はまだしも、行書は本当に嫌いだった。頑張れば頑張るほどバランスの悪い文字になっていったことを思い出した。なんども叱られた記憶があるし、いまでも行書は好きになれない。それに引き換え九成宮醴泉銘はいいなあと思う。叱られたよりも誉められた記憶のほうが多い。カチンコチンの筆がほぐれたら書いてみようと思う。

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再び、川喜田半泥子のすべて展

2010年6月18日 金曜日

また、「川喜田半泥子のすべて展」に行ってきた。この企画の巡回も半泥子の地元である三重県立美術館にやってきてこれが最後の場所である。岐阜県陶芸美術館で見たとき以来、いろいろな本などを買っては読んで、川喜田半泥子のことがますます気になっていた。色々なエピソードが書かれているのだけど、全部本当におもしろいものだった。

半泥子は窯を焚くときや、寝る前にしばしば茶杓を削っていたそうで、この展覧会でもいくつかおもしろい茶杓が出ている。かつて茶杓を作って筒をこしらえていた時に、筒の底を削りすぎて穴をあけてしまったらしい。その筒に茶杓を収めてみたら茶杓の切留のところが出てきてしまったらしい。それでその茶杓の銘は「おみくじ」にされたのだそうだ。茶杓の方には「大吉」と書かれているらしいから、なかなかイケイケな茶杓だと思う。

三重県立美術館はやはり、半泥子のゆかりの地であるし、企画展最初の週末ということもあって、あいにくの雨天にもかかわらず混んでいた。当日は津市外でも川喜田半泥子のすべて展に連動した講演などもあったみたいで、それをはしごしてきた人もいたみたいだった。岐阜と三重とでは展示のしかたが違ってこちらもいいなあと思った。ガラスケースの時はいつも、ちょっと行儀が悪いかもしれない、正面からみている人には迷惑だろう、などと考えながらもついつい後ろに回ってみたくなる。後ろからしか見えない部分があるのだから、気になるのも仕方がない。ほかにもそういう人がたくさんいたことに勇気づけられて、私もそれに倣うことにした。新たな発見もあって満足した。半泥子が撮りためたビデオも上映中でこれも必見である。

帰りに石水博物館にも立ち寄った。ビルの二階にあるというし、そのビルもなんとも冴えないオフィスビルだったので期待はするまいと思ったが、これがなかなか侮れない場所だった。「川喜田半泥子交遊録」という題で、いろいろな手紙や、半泥子のこういうの広さを感じさせる人たちの作品があった。有名人の若い頃の手紙などは本当におもしろいものだと感じた。そういうわけでまた行きたいと思っている。

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ゴースト ニューヨークの幻

2010年5月30日 日曜日

ついに手に入れてしまった。ゴースト ニューヨークの幻 スペシャル・デラックス・エディシ [DVD]。アマゾンでDVDDVD3枚3000円キャンペーンをやっていたので、きになっていたDVDから特に欲しい物を3つ選んで注文した。残りの二つはとりあえず秘密。キャンペーンがつづいているうちにDVDをまたDVD3枚3000円で注文しようか迷っている。

このところ気になって仕方がない陶芸家のイメージというのは実は20年間ずっと、この「ゴースト、ニューヨークの幻」のデミ・ムーアだった。正確にはこのYoutubeのシーンのデミ・ムーアだ。その後のデミ・ムーアがサイボーグ化したのは残念なのだけど、このゴーストの時は最高だと思う。忘れかけている人のために書き添えておくと、デミ・ムーアの恋人で銀行員を演じたのがパトリック・スウェイジ、インチキ霊媒師なのになぜかこの時だけインチキでなくなるのがウーピー・ゴールドバーグだ(パークではなかった)。

思いがけず2-ディスク構成のスペシャル・エディションが手に入った。このおまけのもう1枚の方では、視覚効果や映像効果についての舞台裏のことが細かいインタビューなども交えて説明されていたのが楽しかった。今だと何でもコンピューターグラフィックスを用いたり、あるいは3Dをつかったりするが流行なのだろうか。この映画が作られた頃というは今とは全く違って、今となっては使われていない技術が多くつかわれていた頃だそうで、その頃のいろいろな苦労が描かれていた。

私のDVDでの一番大きな収穫はこの「ゴースト、ニューヨークの幻」のストーリーを思い出すことができたということになるだろう。あまりにもアンチェインド・メロディの部分の印象が強すぎたせいでストーリーなんて全く忘れていた。だけど、少なくとも私にとってこの部分がこの映画の一番いいところなのだ。記憶に残るというのはいいという証拠だと思う。

それから、忘れてはならない「Ditto」というセリフも思い出して、いい気分になった。アメリカに行ったら必ず「Ditto」って使いたい。

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没後50年北大路魯山人展

2010年3月14日 日曜日

JR名古屋高島屋で北大路魯山人展をやっているというので行ってきた。実は去年21年の6月に岐阜市歴史博物館で魯山人の宇宙展をやっていたのに行きそびれてしまったのだ。それ以来、あの時のチラシが頭の中から離れなかった。

魯山人につきまとうエピソードと、作品から私が得た感想は全く逆のものだった。魯山人は本当のところは立派な常識人だったのだろうと感じた。人にどういう印象を与えるかを相当に気にしていたように思う。何かからはみ出すということを極端に嫌っていたのかもしれない。加えて、魯山人は洗練された都会人だなとも思った。いろんな装飾のある器が多いけれど、どれをとっても全く嫌味がなくて上品なのだ。ここを越えたらダメになるという線を知っていて、それを決して越えない人なのだ。

今回の展覧会のチケットにもあった金彩雲錦大鉢は期待通りに輝いていた。ただ個人的にもっとも圧倒されたのは昭和25.6年の作の書で、竹林図屏風の良寛の詩だった。魯山人は元は書家であるから当然ながらいいものばかりだから、どの書の前でも私は長いこと足を止めて見てしまった。

そのとき、中学時代に私は書道部にいたことを思い出した。あの時もっとまじめに習っておけばと後悔した。自分がもう少しでもまともに書くことができたなら、今でも気楽に筆をとったり墨をすったりということもあったはずだ。それに今回も魯山人の書を見たとき、もっと強く感動できたかもしれない。

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九谷光仙窯

2010年3月9日 火曜日

九谷光仙窯
Creative Commons License photo credit: Yuya Tamai

愛情物語を見て、原田知世もいいけれど渡瀬恒彦もはもっといいと思った。こういうアイドル映画ではその相手となる俳優が大切だなのだろうな。それはさておき、映画の中で「あしながおじさん」の居場所を知りたい主人公が、プレゼントの花束の送り主であるあしながおじさんの住所を花屋から聞き出そうとするシーンがあった。その住所というのが渡瀬恒彦が働く九谷焼の窯元という設定だ。そこはどうやら実際に存在する九谷焼の窯元らしいということがわかったのでいってみることにした。

私が訪ねたのは九谷光仙窯というところだ。なかなかに広いところだった。予約をして行ったので見学もさせてもらえた。なかには九谷焼の歴史などの展示もあったし、いろいろと説明もしてもらえたので勉強になった。これまで上絵のことをなにも知らなかったので楽しかった。それにしてもあの原色の色鮮やかな九谷をあんなにたくさん見られたのはよかった。海外でも大人気という九谷の秘密が少しわかったような気がして嬉しかった。

絵付け体験コーナーがあったので、迷わず申込んだ。むずかしくてヘンテコになってしまった。青海波を書こうとしたのにグニャグニャになってしまい、まるで病気の金魚のウロコみたいなのだ。その湯のみもすでに完成して届いているので、そのうちにこのブログにアップしたいと思う。

目的のもう一つである映画の舞台をたずねるという目標も達せられた。原田知世がかばんを置き引きにあった路地も発見できたし、渡瀬恒彦がひいていたロクロの場所も確認できた。実際にその風景の中に自分が立ってみたり、撮影の当時の光景を想像したりしするのはなかなか楽しいものだ。また面白そうな映画を見つけてその場所を訪ねてみたい。

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