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あけましておめでとうございます

2012年1月1日 日曜日

Ceramic Kagami Mochi

あけましておめでとうございます。去年つくった陶器の鏡餅を床の間に飾った。蜜柑が大きくて不格好で浮いた感じだ。小さいみかんを探してこよう。でもまあまあいいかなと我ながら思う。今年も色々つくったけれど、この鏡餅は特にお気に入りだ。作っている時から楽しかったのだから当然だけどね。(中に何を入れたのかは秘密。)

新年を迎えて「今年こそ」という気持ちが強い。「今日こそ」「今週こそ」「今月こそ」の続きなのでなにも変わっていないようだけど、今年こそは本当に「今年こそ」なのだ。このところ欲が深くなってきていて、生命力がみなぎっているような気がするし、何かできそうな予感がしている。やりたい事はいっぱいだけど、それら全部をやる一年にしたい。

喪中はがき

2011年12月7日 水曜日

12月になってから喪中はがきが届くようになった。喪中はがきの差出人を見るたび、大人だなあと思う。喪中はがきを出すようになるなんてほんとうに大人だと思う。子供は年賀状を出しても喪中はがきは出さない。私の場合、小さい頃は喪中という概念もなかっただろうし、喪中でも年賀状を書いて出していたような気がする。年賀状は楽しいけれど喪中はがきは楽しくないと思っていたのかもしれない。楽しいとか楽しくないとか、好きとか嫌いとかではなくて、喪中はがきをせっせと印刷して出すようになった人たちは大人だなと思う。

年賀状だとたいてい一言は手書きを添えてくれる人が多いのだけど喪中はがきでそういうのはあまり見かけない。むしろ事務的にただ印刷して出しましたというふうにみえるほうが良いということになっているのだろうか。年に一度だけの連絡手段だったりもする年賀状の代わりなのだから、もっと楽しみの要素があってもいいのになんて私は思う。それでもときどきは手書きの喪中はがきが届く。たったそれだけのことなのにちょっとうれしい気持ちになる。喪中はがきでうれしいという表現は変かもしれないけれど、そんな感じだ。楽しい年賀状と同じように楽しい喪中はがきがあったらいいのにと喪中はがきを手にしながら考えたりしている。

陶製鏡餅制作中

2011年9月22日 木曜日

Ceramic kagami Mochi 陶製鏡餅
Creative Commons License photo credit: Yuya Tamai

正月に向けて鏡餅を作り始めた。去年も作ろうと思いついたけれど、時すでに遅しだった。正月に間に合わせるには早いうちに作り始めないと完成が間に合わない。反省を生かして今年は早く作り始めることにした。季節を先取りするというのはそれだけでワクワクする。

この鏡餅は上の餅を持ち上げると入れ物になっているというようにした。最近はずっと蓋物に凝っているので鏡餅のことを思い出した時にも、まず蓋物にしようと考えた。粘土を鏡餅の形にして、上下に切って中身をくり抜けばいい。蓋物を作るときに苦労するのはいつも同じで、くり抜いているうちに形が崩れたり、合わせる部分がぴったり合わなったりというところだ。今回はとりあえず上下がはまったので、大丈夫だろう。少しづつ上達してきたような気がする。

素焼きのあとに掛ける釉薬も自分で作りたい。このあいだ手に入れた籾灰を使えば、たぶん白萩釉のようになるはずだ。がんばって釉薬もテストして、正月までに間に合わせたい。それに鏡餅の上にのせる蜜柑も作りたいなあ。せっかくだから、おせち料理も焼き物で作ろうかな。正月まで忙しくなりそうだ。

チェレステ

2010年11月8日 月曜日

私がビアンキの自転車にのることになった理由はとても単純で、カッコイイと思ったということだけだ。10年ぐらい前に雑誌で見たビアンキの自転車に乗ったイタリア人は本当にかっこよかったのだ。少し濡れた石畳の上をスーツの紳士がチェレステカラーの自転車に跨っている姿はいまも脳裏に焼き付いている。いつかあんなふうに自転車に乗りたいと思ったものだ。

ところで「チェレステ」で画像検索するときちんとビアンキの自転車がヒットするのに、「celeste」と英語で(イタリア語で)検索するとダイナマイトなバディがヒットするのはなぜなんだろう。きっとCelesteさんなのだろうけど、「きちんと」してるのは実はむしろこっちなのだろうか。それはやはり複雑な気持ちになる。

暑い季節が終わったと思ったら急に寒くなって、自転車に乗るには風が冷たくなってしまった。だけどその名前の由来のとおり晴れた日にはもっと自転車に乗りたいと思う。

くど・かまど

2010年4月15日 木曜日

竹細工の部屋の囲炉裏のことを書いて「くど」のことを思い出した。「くど」と言うのはたぶんこのあたりの方言で、全国的には「かまど」といわれているものと同じだと思う。

私が高校にあがる時に我が家は改築されて、取り壊してしまって今はないのだけれど、それまでは三基のクドがあった。我が家が建てられたのも割と最近になってからだったらしく、そのクドもタイルが貼られていたりする割とモダンで丈夫ななものだったと思う。私が知っている時代になってからは、そのクドを使うのは1年にせいぜい数回ほどだった。法事などでたくさん人が集まる時と、年末のもちをつく時ぐらいだったような気がする。

年末にもちをつくのは楽しかった。私はクドの火の守りをする役で、たのしくクドに薪などを放り込んでいた。薪と言っても立派な薪はないので、竹細工の余った竹片や、桑畑から拾ってきた枝や切り株を割ったものだった。そして湯を沸かしてもち米を蒸すのがクドに与えられたおそらく唯一の仕事だっただろう。

小学生にとって、火遊びというのは何よりも興奮する遊びなので、クドには片っぱしからいろんなものを放り込んだ。古新聞やゴミ箱のゴミなど、絶対にダメだといわれたものも、親の目を盗んで放り込んだ。煙の色を見ればすぐにばれるのだけど、懲りずにいろんなものを放り込むのが楽しかった。

冬の寒い土間の部屋がクドに火を入れてから暖まっていくのが楽しかった。それになにか仕事を任されるというのも楽しい理由だったかもしれない。もしも今でもクドがあったとして、年に数回程度なら、またクドで料理をするのもいいかもしれないなと思う。