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こいつは春から初釜体験記

2010年1月20日 水曜日

こいつは春から縁起がいいわい~、なんてことを期待して愛知県犬山市の有楽苑に行ってきた。わざわざ1月3日に行ったのにはわけがある。年のはじめは初釜だ。初詣よりも初釜だ。せっかくいくなら有楽苑こそふさわしいはずだと思った。なぜなら国宝茶室の如庵(NYOAN!)があるからだ。

如庵がある、と言っても中に入り込めるわけではなく、窓の隙間から覗くだけだ。こういうとき、出目金だと隅々までいろいろ見えるのじゃないかと思う。こっちはしかもメガネだからぎりぎりまで茶室に近寄ることもできない。それにしても茶室というのは暗い。電気の明かりの無い中で一杯の茶をのむというのは興奮するものだろう。窓から茶室の隅々を覗き込みながら、自らがそこで亭主として、あるいは客としてそこにいる姿を想像した。

そのあと道具の拝見をしたのだけど、ひとつ前の人たちがかなりの手練で困った。いきなり茶碗をグワシとつかんで裏返し始めたのだ。手当たりしだいに触っているではないか。こんなこともできるのか、さすがは初釜、出血大サービスか。そう期待してしまったが、そのオバサン達がやり過ぎなだけだった。その勢いにのって、「茶杓を触っていいですか」と聞いてみたが、「だめだ」って言われた。当たり前か。

それで、肝心の茶席の方はというと勝本師の言うとおりで、ちょっと期待はずれだったかもしれない。待合での息が詰まる用な緊張感とは対照的に茶席では気が抜けてしまった。部屋が広いから深呼吸もできるし、周りのすべてを見渡すこともできる。隙間が多すぎて締まらないような気がした。大寄せの茶会の物足りなさというのはここに問題があるのではないか。狭くて後ろを振り返ることもできない、つばをのむとその音を聞かれる、視線を上げて相手の顔を見られない、そんな重苦しいくらいの場所がいいかもしれない。千利休はそんなことを考えて二畳の茶室を作ったのだろうか。

http://www.flickr.com/photos/yuichirock/ / CC BY 2.0

メリークリスマス

2009年12月26日 土曜日

Weihnachtszeit / old fashioned christmas time
Creative Commons License photo credit: Libär

もうクリスマスが終わって26日になってしまったのだけど、気にしない。僕は厳格なキリスト教徒ではないから細かいことは気にしてない。厳格どころか信者ですらない。神棚と仏壇のある家に生まれたから、むしろそっち方面だ。

戦場のメリークリスマスという映画を見たことがある。それ以来、いつかは「メリークリスマス、ミスターローレンス」と言いたいと思っていた。そう言う機会を密かに窺ってきた。しかし今年もその機会を逃してしまった。残念だ。また来年こそはそういう機会を作ろう。誰かが部屋から出て行くところを呼び止めて、なんて都合のいいことは滅多にないのだ。

あと1週間でカレンダーも終わりだ。やりのことしたことが多いのでもう少し延長をしてほしいと考えている。カラオケボックスの「残り10分です」のコールのようだ。まだ何曲も予約が入っているなんてときはどうしたらいいんだろう。やはり、そんなコールを気にせず歌うしかないのだろうか。困った困った。

夏の夜は

2009年7月21日 火曜日

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Creative Commons License photo credit: yamaken

小倉百人一首の36番に

夏の夜は まだ宵ながら あけぬるを 雲のいづこに 月やどるらむ

というのを見つけた。当時の月は雲の裏に隠れていたのだろうか。夏は夜が短くて月の活躍することも少ないから、少々隠れていてもいいということなのだろう。ところで、明日は日食だそうで、今度はその月の裏側に太陽が隠れるということらしい。ややこしい。月も太陽も面倒くさい。

これは、清原深養父という人の歌で、ちなみにこの人

夜をこめて 鳥の空音は はかるとも よに逢坂の 関はゆるさじ

と歌っていた清少納言のご先祖様に当たるという。二人揃って難しい歌を詠むものだなあと思う。清少納言の言うとおり「夏は夜」が好きだ。きょうのように雨が降っているのはさらに好きだ。夏の映画で必ず雨のシーンがあるのはやはり雨の日が好きだからだろうと私は勝手に思い込んでいる。ただ暑いだけの夏は嫌いだ。日食で太陽が隠れても涼しくはならないだろう。エリカ様も日本に帰ってきたことだし、私も少し気になっている。

春すぎて

2009年6月3日 水曜日

春すぎて 夏来にけらし 白妙の 衣ほすてふ 天の香具山

日本人ならこの歌ぐらいは知っている。持統天皇の歌だということも知っている。そしてこれが万葉集の「春過ぎて夏来たるらし白妙の衣ほしたり天の香具山」からきているということも知っているのだろう。万葉集のほうがいい、勝手に変えるなよ、なんて文句を言ういう人もいるらしい。だれど私は、小倉百人一首のほうが好きだ。藤原定家は偉いと思う。

そんなことはさておき、春が過ぎて衣替えの季節がやってきた。つい先日のことだが、冬の着物を干して押し入れにしまった。代わりに夏の半袖のシャツなどを出してきた。白い衣ではなくても、半袖のシャツもやはり干しておくものだろう。夏が来たのだから。

私の毎日はそんなこととは関係なく同じように過ぎている。時間が過ぎるのは早い。まさに「夏来にけらし」の気分だ。何も変わらないようでちょっとづつ変わっている。今日もまたノートの前のページを開いては書き直すなんてことを繰り返していた。藤原定家の毎日もこうであったかもしれない。だけど私の場合は、屏風の落書きが増えているだけなのだ。