2009年6月 のアーカイブ
2009年6月29日 月曜日
いまは徳川美術館について予習の最中である。勝本師に教えてもらった徳川美術館の収蔵品はさすがの一言につきる。そんな名物ぞろいの収蔵品の中でも特に気になっているのが、千利休の作った茶杓である。つけられた銘は「泪」という。なんと哀しき銘であろうか。それもそのはず、この茶杓には物語があった。
天正十九年(一五九一)二月、豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自からこの茶杓を削り、最後の茶会に用い、古田織部に与えた。その後、古田織部はこの茶杓用に、長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通してこの茶杓を位牌代わりに拝んだと伝えられる。筒は総黒漆塗で、これを垂直に立てると、いかにも位牌らしくみえる。茶杓は白竹で樋が深く通り、有腰で、利休の茶杓の中でもとくに薄作りに出来ている。千利休-古田織部-徳川家康(駿府御分物)-初代義直と伝来した。
こんな生々しい茶杓ならばなおさらこの目で見てみたい。だが残念なことに現在はこの茶杓は展示されていない。展示の時にもまた足を運ぶことにしよう。
茶杓に限らず名物には素晴らしい銘がつけられている。様々な銘を聞くたび、銘と道具とが見事に調和していることに驚く。この茶杓にしてこの銘が、この茶入れにしてこの銘が、といった具合である。写真だけでなく、これを実際に目にしたら忘れるなんてことはできないだろう。私も身近なところから銘をたしなんでいきたいと思う。
タグ:千利休, 古田織部, 茶杓, 茶道具, 銘
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2009年6月24日 水曜日
「人生意気に感ず」とは、唐詩選の最初にも出てくる魏徴の述懐の一部である。男というのは意気に感じて行動をするものであるようだ。これは述懐の最後の部分で、続いて「功名誰か復た論ぜん」としてこの詩を締めくくっている。そもそも功名心から行動するものではないのだ。
元はといえば、この詩を最初に知ったのは藤沢秀行という棋士が好きだったからなのだ。彼の本で初めてこの言葉を見つけた。本の題名がまさに「人生意気に感ず」だったのだ。その時すぐにはその言葉の意味はわからなかったけれど、とてもかっこいい言葉だと思った。なんという意味だろうと思っていたら、「述懐」という詩にたどり着いた。
藤沢秀行という人を私は新聞やテレビでしか見たことはないのだけれど、魅力あふれる人であったそうである。色々と人騒がせな人で、逸話も多い。だけど、そんな行動も何か意気に感じるところがあってのことだったのかもしれない。実は、私が囲碁を覚えて間もないころに何度か読んだ本を書いたのがこの藤沢秀行だった。それが理由かわからないけれど、囲碁の打ち方について以外の彼の本もその後も何冊か読んだ。藤沢秀行の盤上の打ち方は異常だったらしいけれど、その盤外の生き方も異常なことが多かった。意気に感ずるというのはどういうことなのか、もういちど考えてみたい。
タグ:囲碁, 漢詩, 藤沢秀行, 読書
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2009年6月23日 火曜日
そんなにたくさんの本を読むのはなぜかと聞かれて、何度も読みかえしたくなる一冊を見つけるためだと答えた人がいた。あなたにとって何度も読み返したくなる本とは何だと聞かれても、私は答えにつまるだろう。そんな本に出会えたら幸せだろう。
ついこの間、本棚に井上靖の「敦煌」を見つけて、思わず読み返してしまった。この小説を初めて読んだのはそんなに昔のことではない。その時も、なぜだか急に読みたくなって本屋で買ってきたのだと記憶している。ところで私が小学生のころ、「敦煌」という同名の映画が公開されていた。その後テレビで放映されたものを私は見たのだけれど、それだってもうかなり昔のことだ。それなのに断片的な記憶はまだしっかりと残っていて、映画のいろいろな場面を小説を読みながら思い出した。
ともかく私はこういう小説が好きになってしまったようだ。この本では趙行徳という人間が色々な人間に出会い敦煌へと導かれていく。そんな趙行徳の生き方にあこがれながらも、運命とはそもそも何なのかというようなことを考えてしまう一冊だった。
タグ:井上靖, 小説, 敦煌, 読書
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2009年6月21日 日曜日
黄金の信長像が岐阜駅前に建立されることになっている。しばらく前に新聞記事にもなっていたので気になってはいたけど、つい先日岐阜駅にてその場所が確保されていることを見て感激した。県都岐阜の玄関口についにそんなものができるということに喜ばずにはいられない。
南蛮趣味の信長公らしいものができるという。天下布武の旗印なのだからド派手に作ってほしいものだ。岐阜に降り立った瞬間、まっさきに目に入るのがこの黄金に輝く信長公なのだ。岐阜に来訪する人の心を鷲掴みにするものができることを願う。平凡な銅像の置かれた駅は全国にあるけれど、そんなものはいらない。そんな平凡なものは信長公にはふさわしくない。日本の中心たる岐阜から天下に号令する信長公であるなら、とにかく目立つことが大切だ。あまりの奇抜さに卒倒するぐらいがちょうどいい。
信長公の銅像を贈る会によると、
岐阜市は、市制120周年という節目を迎え、県都の玄関口であるJR岐阜駅北口駅前広場が、今年の秋、いよいよ完成すると伺っております。その記念すべき年に、郷土の誇りである織田信長公の銅像を、北口駅前広場に寄贈したいと考えております。
信長公は、永禄10年(1567年)「井の口」から「岐阜」へと地名を改めた「岐阜」の生みの親であります。また、楽市楽座など、新たな政策を取り入れ、岐阜のまちの発展に尽力した、岐阜の最も有名な人物のひとりです。
寄贈する信長公の銅像は、マントを羽織り、右手に種子島、左手に西洋兜を持ち、その姿は常に時代の最先端を歩いた信長公の『変革』の象徴であり、都市再生を図る岐阜市の未来を表現するものとなっています。
岐阜公園には、市政100周年を記念して、岐阜商工会議所から寄贈された、馬にまたがった「若き日の信長像」があり新しいまちである岐阜駅周辺と歴史ある岐阜公園周辺が、これら2つの銅像によって結び付けられる事により岐阜のまちが更に発展することを期待するものであります。
期待は膨らむばかりだ。とりあえず我々も寄付をせねば。
タグ:天下布武, 岐阜駅, 織田信長
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2009年6月17日 水曜日
ブックオフは我らの味方である。とくに105円コーナーは強力な味方である。しかし、安いからとカゴについついいらない本まで放りこんでいることには注意しなければならない。本が安いからとブックオフに行くのに、お金を節約しようとブックオフに行くのに、いらないものまで買ってしまうのでは本末転倒だ。定価で買わないような本なら、安いからといって買う理由なんてないのだ。
読みもしない本を買う割合が多いのもブックオフだ。本屋で定価で買えば、たいていその日のうちに読み始める。だけど、ブックオフで買った本はその日のうちには読み始めない。なぜだ。本屋と違ってブックオフだと一度にまとめてビニール袋いっぱいに何冊も本を買ってきてしまうからだろう。本屋だとたいてい一日に買うのは一冊だけだ。読み切れない本を買うから本棚があふれてくるのだ。読まないから印象に薄いからまったく同じ本を二冊買うなんてこともある。
ブックオフで激安だと思って買ってきた本を偶然にアマゾンで検索し、マーケットプレイスに1円で売られているのを見つけるなんてことがあるともう憂鬱で仕方がなくなる。これだけはやってはいけない。ブックオフで買ってとりあえず積読しておいた本を次の日に図書館で発見してしまった時もいけない。そういう時ははやいうちにその本を読んでしまうに限る。そうしないと、図書館に行くたびその本が憎くて、そのうち夜も眠れなくなる。
まとまりのないはなしだけど、余計なものを買わないということなのだ。エコドライブというのも結局よけいなところに寄り道しないのが一番のエコなのだ。
タグ:ブックオフ, 図書館, 本屋, 読書, 買い物
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2009年6月13日 土曜日
クルマを運転するものならば、必ず行かなければならないのがガソリンスタンドである。一時に比べればガソリンの値段も落ち着いているとはいうものの、決して軽んずることはできないものだ。
そこらじゅうで燃費向上だとかエコドライブだとか色々なことを耳にする。確かにそれらを実践すれば燃費は向上するのだろう。ガソリン代もいくらか浮いてくれるのだろう。しかしそれはクルマを運転する快適さを失うものであるならあまり価値を見いだせないのも事実だ。「Fun to Drive」とは言えない。それにいくらガソリン代が節約できるといったところでせいぜいひと月に1000円程度のことなのである。こうなるとその意義がかすんでしまう。1000円節約するなら、もっと他にいい方法があるからだ。
とはいえ、燃費の向上は単にガソリン代を節約するためのものではない。ガソリンの消費が減るということは二酸化炭素の排出が減るということだ。エコドライブのエコはエコロジーのエコなのだ。そう考えれば燃費を向上させる理由がはっきりしてくる。快適さを失わせない範囲でガソリンを節約できる運転法をしばらく模索していきたいと思う。すでにいろいろな方法が紹介されているのでそれを実践し、どれほどのものなのか自分自身の目で確かめてみたい。
タグ:エコドライブ, ガソリン, クルマ, 環境
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2009年6月11日 木曜日
美濃焼は実はすごい。日本で作られている茶碗の半分以上はなんと美濃焼だというではないか。ということは、岐阜県民ならずとも毎日使っている茶碗も半分は美濃焼ということになる。侮るなかれ、美濃焼。美濃焼にもいろいろある。素人の私ですらよく耳にするものが、志野、織部、黄瀬戸、瀬戸黒の四つだ。なんとこれらすべて美濃焼だったのだ。素晴らしき哉、美濃焼。
ところで、志野や黄瀬戸、瀬戸黒は美濃で焼かれたものだとは思われていなかったらしい。名前も面倒なことになっているが、ずっと瀬戸で焼かれていたものだと思われていたというのだ。そんな俗説の誤りを正してくれたのが人間国宝の荒川豊蔵という人だそうな。というわけで、いま猛烈に美濃焼への、そして荒川豊蔵への興味がふつふつと湧いてきている。
夏休みになったら、多治見や土岐へ通って窯を見たい。茶碗をいろいろ見て回りたい。その前に焼物、陶芸について知らないことが多すぎる。知れば知るほど面白い世界だ。予習して臨みたい。
追伸
さっそくいろいろ調べてみた。志野や織部も瀬戸でもどこでも作られているものなのだった。荒川豊蔵が発見したのは、美濃焼の隆盛を極めた桃山時代の志野焼が瀬戸ではなく美濃で作られたものであるということだったのだ。そして志野焼を極め、美濃焼を今のような地位にまで押し上げた一つのきっかけを作ったのがこの荒川豊蔵だった。ますます興味が湧いてきた。まだまだ知らぬことばかりだ。
タグ:美濃焼, 芸術, 陶芸
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2009年6月7日 日曜日
気運が来るまで気長く待ちつつ準備する者が智者。気運が来るや、それをつかんでひと息に駆けあがる者が英雄。―それが庄九郎の信念であった。そして庄九郎こそ、智者であり英雄だった。
「国盗り物語」第二巻の裏表紙に書かれている文章がこれだ。この部分が訳もなく気に入っていて、何かにつけ思い出すことが多い。
司馬遼太郎の作品の中で、私がもっとも好きなものがこの国盗り物語である。国盗り物語は全てで四巻である。このうち前半の二巻までが特におもしろい。司馬遼太郎も元はと言えば、松波庄九郎が美濃国を盗る前半二巻までで完とするつもりであったらしい。しかし、週刊誌での連載が好評であったため、その続編として織田信長と明智光秀の二人を主人公とした後半二巻分を作ったのだと聞いたことがある。
ところで小説とはいったいどう読むものなのだろうか。主人公になった気分で読むものだろうか。それとも第三者として読むものだろうか。そういう自分自身はどう読んでいただろうかと考えてみた。たいていは、主人公になりきって読んでいる様な気がする。そういえば、国盗り物語は前半で斎藤道三が死んでしまう。こうなると後半は誰になって読めばいいのだろう。草葉の陰からそっと見守る態度で読めばいいのか。
タグ:司馬遼太郎, 国盗り物語, 大桑城, 小説, 斎藤道三, 明智光秀, 織田信長
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2009年6月6日 土曜日
世の中には二種類の人間が存在する。李白と杜甫である。私は杜甫だろうか。理想と現実とを往来する杜甫の詩には共感することが多い。
望岳
岱宗夫如何
斉魯青未了
造化鍾神秀
陰陽割昏暁
盪胸生層雲
決眥入帰鳥
会当凌絶頂
一覧衆山小
若き日の杜甫の様子が目に浮かぶ。その後、杜甫は泰山に登ったのだろうか。この気持ちをかなえることはできたのだろうか。泰山がどのようなもか、天下ははたして小さいものなのか。この詩は私のいまの気分をよくあらわしてくれているように思える時がある。
タグ:杜甫, 決意, 漢詩
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2009年6月4日 木曜日
1582年の6月の2日に本能寺の変は起こったらしい。ということは1582年の今日の天下人とは明智光秀公だったのだ。本能寺の変が起こった成り行きについてはこれまでにもいろいろな物語が作られている。そのどれもがおもしろい。とはいえ、天下を自らの手に入れるという野望をついに果たしたのだと私は思っている。
同じ山県の出身ということもあり、明智光秀公に対しては以前から私は勝手に親近感を寄せている。三日とはいえ明智光秀公は天下を取った。三日でなくてもいい、三分でいいから天下をとりたいものだ。偉大な故郷の先輩を目標に、本能寺の変のため、私も準備を怠らぬようにしたい。
タグ:山県市, 明智光秀, 歴史
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